こんにちは、ねりきりです。
婚姻費用分担請求の申し立てから半年、ようやく裁判所の審判がくだりました。
結果は、私の全面勝利といえるものでした。
婚姻費用分担請求⑩審問のあと。書面バトルの続きになります。
家族や離婚体験談の人物紹介はこちらをどうぞ。
審判書の内容
結果が気になって、郵送されるのを待ちきれず、裁判所に直接受け取りにいきました。
家事受付の待合用のベンチに座って、急いで読んだのを覚えています。
審判書は「主文」と「理由」で構成されてます。
それぞれの内容は以下の通りです。
主文
- 相手方は申立人に対し、〇万〇円を支払え。
- 相手方は、申立人に対し、平成〇年〇月から当事者の別居解消又は離婚するに至るまで、毎月末日限り△万△円を支払え。
- 手続き費用は、各自の負担とする。
1.は、別居して私が婚姻費用分担請求を申し立てて以降の、もと夫の未払い金を支払うよう指示したもの。
2.は今後、もと夫が私に月々支払うことになる婚姻費用額です。
3.は、申し立てから審判に至るまで、それぞれが費やした費用はそれぞれが負担するように、清算はしません、ということです。
理由
以下の3つに分けて書かれています。
申立ての趣旨
「相手方(もと夫)は申立人に対し、婚姻費用として月額〇万円支払え。」
私の申し立ての内容です。1行で書かれてます。
事案の要旨
当事者(私ともと夫)がそれぞれどんな主張をしているか要約されてます。
基本的に、私の陳述書の中の相手の主張に対する反論、もと夫の主張書面、私の主張(反論)書面の内容です。
当裁判所の判断
離婚調停の記録、私ともと夫の主張書面、審問の受け答えなどから、裁判所が「夫婦の間に起こったのはこういうことだ」と事実認定し、主文を下すにいたった判断の内容が書かれています。
次の項目で細かく見ていきます。
裁判所の事実認定
小さな間違いがところどころに見られたものの(「子ども達」の通帳が、「長男」のみの通帳になってたりとか)、おおむね妥当でした。
もと夫の浮気から、離婚調停の申し立て、別居、子ども達との同居、離婚調停の不成立にいたるまで、私が当ブログにも書いてきた通りの経緯を、事実として認めてくれていました。
裁判所の判断
もと夫の主張はほぼ退けらました。
もと夫の主張「婚姻を継続しがたい状況を作り出したのは私であり、有責配偶者が婚姻費用分担を請求することは権利の濫用である」について
これまでの経緯から、私がもと夫と信頼関係を形成することが不可能であると判断して別居に至ったと判断するのが相当である。
したがって、私が婚姻費用分担を請求することは権利の乱用とはいえない、。
もと夫の主張「私の収入に、月5万円、年額60万円を足した金額で婚姻費用額を算定するべきである」について
今日の就職状況と、私の年齢では、さらに収入を増やすことが難しいと判断されるから、もと夫の主張は採用しない。
もと夫の主張「収入が減る見込みのため、婚姻費用額の減額を求める」
最新の源泉徴収票を元に算定されました。
もと夫の希望通り、減額になった収入で算定されましたが、きちんとした計算式が使われたため、私の請求額に近いものになりました。
ベンゴ氏のいかさま計算式は無視されました。
もと夫の主張「費用約30万円を清算してから、婚姻費用の支払いを開始すべきである」
保険料は財産形成に係るもの、駐車場代・プリンターのインク代などは婚姻費用分担の始期より前に支払われたもの。
したがって、婚姻費用分担額の算定には関係ない。
婚姻費用額
最新の源泉徴収票から、きちんとした計算式を用いて算定されました。
そこから、もと夫が提出した「家計収支表」に書かれていた、ポテチの高校といちごの中学の学費を差し引いた金額が、月々のもと夫の支払い額になりました。
また、私とポテチの携帯電話代は清算されました。
私の感想
婚姻費用分担請求審判は、私の全面勝利といっていい結果となりました。
もと夫の主張書面のデタラメや、審問での矛盾だらけの供述は、裁判官の心証に影響したんだろうと思います。
若干、不満だったのは、毎月の支払い額が、子ども達の学費が差し引かれた金額になったこと。
当時、ポテチといちごは高校&中学生で、学費は別居前のままもと夫の口座から引き落とされていました。
しかし、2人はいずれ進学しますし、そしたら引落し先をもと夫の口座になんて出来ない。そもそも金額だって変わります。
毎月一定額を減額することを裁判所に決められてしまうのはイヤだなあ、と思ったのでした。
しかし、審判の内容はおおむね私の望み通りだったので、抗告するほどのものではありません。
(抗告してかえって不利な結果になったら損だしね)
この審判が確定するかどうかは、もと夫次第。
そして私は、もと夫とベンゴ氏は即時抗告するだろうと予想してました。
なぜって、自分たちの主張が全否定されたことを、やすやすと受け入れるような人たちではないから。
案の定、もと夫は即時抗告しました。
審判を受け取ってから、約10日後のことでした。