こんにちは、ねりきりです。
離婚後の紛争調整調停はなんの成果もないまま取り下げ。
しかし、そこでわかったことがありました。
離婚後の紛争調整調停④調停終了。そして・・・の続きです。
家族や離婚体験談の人物紹介はこちらをどうぞ。
もしかして家売られてる?
離婚後の紛争調停はなんの成果もないまま終了しましたが、そこで確信を得たことがありました。
もと夫が「不動産権利証の返還」にこだわったのは、それを使用する予定だったからということです。
控訴審の和解期日からうっすら感じていたことがクッキリ輪郭を持ちました。
この頃、私が考えていたのはこんな筋書きでした。
もと夫は家の権利を両親か妹に譲渡したのではないか?
理由は以下の通りです。
- 離婚裁判の本人尋問で、もと夫自身が「自宅には親族に住まわせる」と言っていた。
- 当時、ポテチが自宅を訪ねたところ、もと夫の両親と妹がいて実際に荷物を運びこんでいた。
- 養育費を未払いにしたときに、強制執行で家という資産を差し押さえされないようにするため。
お父さんは家を手放したかもしれない…
調停帰りにぽつりと言うと、
オレ、ちょっと見てくるわ
ポテチが数ヶ月ぶりに自宅の様子を見に行くことになりました。
自宅の様子
家族が15年以上暮らした自宅…。
ご近所との仲も良好でしたが、いちごの別居時の騒動があって以来(↓)、私はもう何年も近づいていません。
自転車でほんの数分の距離なんですけどね。
家を見に行ってきたポテチが開口一番いいました。
オヤジ、家を売ったんじゃないか?
庭に子供用の自転車が置いてあったで
えっ、でも、裁判でお父さんは家に妹を住まわせるって言ってたんだよ。
あ、もしかして自転車はいとこ(義妹の娘)の子どものじゃない?
実はもと夫の妹は私たちより数年前に離婚しています。
義妹には娘が二人いましたが、上の子はポテチより3つ年上でした。
義妹はずいぶん早い結婚だったので、娘もそうであれば、ぎりぎり自転車に乗る年齢かも、と。
義妹と義妹の娘一家で同居してるのでは…と思ったんです。
いや、小学生向けの自転車やったで。
さすがそんな大きい子どもはいないやろ
え…。じゃあ、他人に売ったってことかな…
予想外でした。
家を手放すにしても、もと夫は親族に譲るなどして家との関係は残しておくんじゃないかと思っていたからです。
今となってはもと夫と子ども達を繋ぎとめているのは「家の存在」と、もと夫が持ってる「子ども達の私物」だけでした。
私としては、子ども達との思い出のある家をもと夫は簡単に手放さないだろう、と思いたかったのですが…。
いっぺん、オヤジに電話してみよか?
ポテチが提案しました。
前の電話番号は着拒されてたけど、新しい番号に変えたから、あいつ電話に出るんじゃないか?
ポテチともと夫の電話
結果として、もと夫はまんまと電話に出ました。(仕事で電話を取れない、と言ってたあの日々は何だっのでしょうか…)
しかし、全くお話にならなかったのだそうでした。
ポテチからの電話はよほど不意打ちだったようで、もと夫はよくわからない文句をぶつぶつ言ったそうです。
ポテチはイライラして怒りをぶつけたそう。
お前、なに勝手に家を売ってるねん!?
親に向かってその言い方はなんや!
しばらく言い争ったあと、またガチャ切りされて。
そして二度と電話がつながることはありませんでした。
即着拒されたんでしょうね。
家はやはり売却されたのでしょう。
子ども達の私物はいったいどうなってしまったのでしょうか…
「あきらめた」
それから数ヶ月。
調停委員のアドバイスもあり、ポテチは私物返還に協力してもらおうともと夫の両親(ポテチの祖父母)に電話したりしました。
しかし、
「和解で全部解決したんやろ。出来ることはない」って言われた
ため息です。
確かに和解条項にはこんな記載があります。(もと夫側の提案で加えられた文言です)
しかし、離婚後の紛争調整調停でもと夫が出してきた文書にはこう書いてありました。
そうです。子ども達ともと夫の間には何の取り決めもありません。
和解調書に書いてある文言にしばられるのは私だけです。
おじいちゃんはわかってないみたいだけど、それはお父さんとお母さんの間の話だよ。
お父さんとあなた達が裁判所で争ったわけじゃないんだから、いくらでも反論できるよ? そう言ってやったら?
いや、いいわ…
ポテチは疲れてしまったようで…。
数日後、突然こう言いました。
私物のこと、あきらめることにしたわ。
そしたらもうあいつに関わらなくていい、ってことやろ?
腹立つこともなくなるし、その方がスッキリするって気づいた
明るくて、憑き物が落ちたようにさっぱりした表情でした。
・・・
囚われから解放されることはポテチにとってよいことだったと思います。
でも、ポテチがあきらめた物はポテチが青春をかけてきたものの集大成で、本当に大事なものだったんです。
それを笑顔で「あきらめた」なんて。
申し訳なくて、悲しくて、ポテチの気持ちを思うと今でも泣けてきます…。
登記簿照会とことの真相
登記簿照会
この記事を書くにあたって、離婚成立以来、いつかやりたいと思っていたことを一つ実現させました。
登記簿照会です。
法務局にわざわざ出かけなくても、今はオンラインで照会できるのですね。
便利な世の中だわ~。
もと夫が自宅をどうしたのか。
実は人に貸しているだけで、手放していないのではないか。
いまだに信じたい自分がいたのですが、ついに真実を目の当たりにしました。
ことの真相
結果からいうと、もと夫は他人に自宅を売却してました。
抵当権抹消の日付から推測すると、もと夫は離婚後の紛争調整調停前の少なくとも1ヶ月くらいの間に売却の手続きをしたようです。
売却額はハッキリしません。
しかし、自宅購入者が抵当権設定した金額は、私が第1審で裁判所に提出した自宅評価額(裁判所が「あまりに高すぎる」として退けた金額です)に近いものでした…(↓)
住宅を購入する場合、物件価格の他に手数料などがかかりますよね。
購入者は頭金なしで手数料も含めてお金を借りたのか、それともいくらかの頭金を支払って少ない金額を借りたのか…。
少なくとももと夫とベンゴ氏が裁判に提出した自宅評価額よりも、相当に高額で自宅が売却されたことは間違いありません。
私の考え
もと夫が自宅売却に向けていつ動き始めたのかはわかりません。
和解が成立する一年前、自宅には確かにもと夫の両親や妹が荷物を運びこんでいました(ポテチ談)。
もと夫が不動産権利証の返還要求を始めたのは和解成立の半月前でした。
その頃から不動産業者に売却の相談をしていたのでしょうかね。
それとももっと前から相談していて、売却の見通しがついたのか。
財産分与で自宅はもと夫のものになったのですから、売却は自由にしたらいいとは思うのです。
私に多額の支払いをすることになったのだから、お金が必要だったでしょうし。
でもね。
私ともと夫の離婚成立後、ポテチは私物返還についてもと夫と連絡を取ろうとする努力を始めました。
私物のことは「離婚してから」と、祖父に言われた言葉を信じたからです。
それから約2ヶ月。
もと夫が自宅の荷物をどうしたのかはわかりません。
自宅売却時、すでにもと夫は遠方に転勤になっていましたから、自宅の片付けをしたのは義両親と義妹でしょう。
ポテチの部活の記念パネルや後輩が作ってくれたアルバムが大切なものであることくらいわかるでしょう。
しかし、もと夫を捨てた私と子どもへの恨みを募らせ捨ててしまったと考えられなくもありません。(特に義妹はやりそうです…)
もと夫に心があれば、子どもの願いを叶えるくらいのことはできたのでは…と悔しくてなりません。
そして自分自身の至らなさに腹が立ちます。
色んな経緯があったとは言え、訴訟の中で子ども達の大切なものを取り戻す努力をもっとしていれば…。
もと夫の良心なんて信じてはいけないものでした。
皆さんはどうか私のような後悔はしないでください。
別居するときに大切なものは必ず持って出ること、もしも置いて出るしかなかったとしても離婚の交渉中に取り返すこと。
出来る限りのことをしてくださいね。