こんにちは、ねりきりです。
弁護士なし離婚調停④第2回期日 別居決定の続きです。
子どもの気持ち
前回の調停案を作ったときに、私は子ども達に気持ちを聞いていました。
お父さんとお母さんが別居することになったら、あなた達はどうする?
長男ポテチと長女いちごはその頃、高校生と中学生。
この年代の子どもって、親との生活より友達や学校の方が大切なものです。
さらに子ども達は、長く続いた両親の争いに心底うんざりしていました。
別居することが決まって、子ども達に負担がいくことは避けられないけれど、最小限にとどめたい。
私は子ども達に約束しました。
「あなた達になるべく負担はかけないようにする」
「近くのアパートに住むし、夕ご飯も作りに来る。掃除にも来る。お母さんのところに食べにきてもいい」
「勉強もしにおいで」
当時、私はいちごの勉強の面倒をみてました。
ポテチは部活が忙しく、試合会場への送迎など保護者のサポートは必須でした。
私の言葉で、ポテチもいちごも、とりあえずもと夫のいる自宅で生活を続けることを選びました。
淋しかったけれど、それは、子ども達への影響を最小限にとどめたかった私にとっても良いことだと思えました。
調停で別居が決まったことで、私は本格的に近所の賃貸物件を探し始めました。
引っ越し
自宅から徒歩圏内にレオパレスがあったので、私はそこに入居を決めました。
どれだけ住むことになるかわからないし、とりあえず初期費用が安く済むかなと思ったんです。
しかし、レオパレスには短期プランとマンスリープランがあるそうで、自宅の近所のはマンスリープラン型とのこと。
これは長く住むほどお得なプランなんです。
なので、残念ながら初期費用は決して安くありませんでした。
当時の記録によると、前払金 ¥170,000弱(礼金+日割り家賃)
火災保険 ¥13,520
合計で20万円近く!
結構な金額ですね(泣)。
けれどレオパレスには家電やインターネット環境などが揃っていたので、100円均一やニトリで雑貨を揃えるだけで済んだのはありがたかったです。
キッチンはオール電化でコンロが一つだけ。
シンクも狭かったので、子ども達と私の食事を作るのは大変でしたけどね。
(単身者用だから仕方ないですね)
引っ越しは私ひとりだけだったので、業者には頼まず、必要最低限のものを自分の軽自動車で運び出すことにしました。
せめてもの節約です。
別居の資金と車。亡き父と姉からのサポート
別居のための費用は、全て私の結婚前の貯金から捻出しました。
家庭の通帳類は全てもと夫に奪われましたが、私名義のものだけは辛うじて取り返していたんです。それが役に立ってくれました。
私の貯金は、結婚後、家族の貯金という扱いにしていたのですが、定期預金だっため、私名義であり続けていたのがラッキーでした。
この貯金と、父親の相続金のおかげで、なんとか裁判までやっていけました。
私の車は、生前、姉が乗っていたものでした。
姉が亡くなったとき、義理の兄が好意で譲ってくれたんです。
姉夫婦はとても仲が良かったから、車を完全に手放したくなかったんでしょう。
幸せな夫婦生活を送っていた姉が早く亡くなり、夫に浮気された私が生きているなんて、皮肉なものです。
何度、姉と代わりたかったと思ったかわかりません…。
車があったおかげで、私は裁判所や年金事務所などへ楽に行けたし、子ども達のサポートも出来た。
数え切れないくらい多くの場面で助けてもらいました。
私がくじけず離婚調停から裁判まで戦えたのは、亡くなった父と姉の支えがあったからこそでした。
もと夫の豹変
別居が決まってから、もと夫は態度を硬化させました。
それまではしゃべりはしないものの、自分は被害者だ…という態度だったのですが、常にむっつりして私をにらむようになりました。
それでも、引っ越すまでは、私が子ども達と交わした
「夕ご飯を作りにくる」
「掃除をしにくる」
などの約束を、
「自分も出張などで帰れないことがあるから、助かる」
などと容認していたのですが…。
引越後、豹変しました。
引っ越し当日、私は昼食を家族で食べたあと、誰にも手伝ってもらわず家を出ました。
車から荷物を運び出し、ある程度部屋を整えたところで、保険証を忘れたことに気付いたんです。
取りに戻ると、
もと夫にいきなり怒鳴りつけられました!
勝手にうちに入るな!
カギを返せ! 何をチェックしてるんだ!
カギを返さないんだったら、そっちの家のカギをよこせ!!
チェックって何のことでしょう。
私の家のカギを渡す……。この剣幕では身の危険すら感じます。
近所に響き渡るような大声だったので、ポテチがもと夫を止めに入ります。
私は保険証をポテチに取って来てもらい、追い返されるように新居に戻りました。
威嚇メール
その後ももと夫の高圧的な態度は続きました。
子どもに頼まれて、自宅に食事を作りに行ったり、掃除に行くと、もと夫から
身勝手な行動はやめてください
挑発行為をするな
あなたのせいで迷惑している
などとメールが送られてきます。
反論するとさらに攻撃的なメールが届きました。
それでも私は仕事をしながら、週に3~4日は子ども達のために夕食を作り、いちごに勉強を教え、ポテチの部活のサポートをしてました。
別居の結果
別居によってようやく事態が動き出し、私は精神的に落ち着きました。
逆にもと夫は私への怒りを募らせたようでした。
なぜなら、もと夫は事態を動かしたくなかったのだから。
(だからこそ、これまで先延ばしを繰り返したのでしょう)
しかし、私が家を出たことで、もと夫がついに動き出しました。
というか、本当はそれまでも動いていたようですが、次回の調停でついにそれを表面化させたのでした。
別居から約半月後に行われた第3回離婚調停。
そこで、私は安易に決行した別居を死ぬほど後悔することになるのです。